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親や先生のして欲しいことを、察してしてしまう「いい子」だった。
絵を描くことや、編み物などの手芸が好きだったけれど
「それよりも大事なのは勉強だから」
と、
「するべきこと」
のために、小学生の頃から好きなことを諦めてきた。
「常に自分のできていないことを見つけ出し
それを高めることが大人になることだ」と。
10歳くらいに始まる中学受験から、18歳の大学受験まで。
数字で常に比較、評価される。
気がついたら、私は競争社会の真っ只中にいた。
競争していることに、意識を置くこともあまりないほど当たり前だった。
競争に勝っているようでいて、失っているものが大きかったことに気づくには、長い時間がかかることになる。
身体は大人になったけれど
気がついたら、したいことがわからなくなっていた。
就職活動で履歴書を書くとき
「志望動機」を考えながら気づいた。
「これも、これも、これも、全部、ウソじゃない?!」
私の本当に、したいことじゃない!
だからこんなに考えたって、書けないんだ。
やっと書けたものが、空々しい。
面接で、その気分になって話すことはできる。
でも自分にはわかっているんだ。
「これじゃない」ってこと。
私は、私を、生きて来なかったんだ、ということ。
先生の言う通りにできたって、大人たちの望むようにしてきたって、
出来上がったのは、
「自分のしたいことさえわからない22歳」
だったことにショックを受けたけれど
もう仕方ない。
ここからスタートするしかない。
「したいことを探すために就職しよう」と
(株)リクルートで働くことに決めた。
独立して自分の仕事を作っていく人も多いと聞いたので
働きながら、学びながら、「私」を探せるといいなと思ったのだ。
しかしそこでの、期待以上の厳しさと、人間関係に傷ついて
私は決定的に身体の調子を崩し、2年で退職することになる。
顔中が腫れ上がるほどの、吹き出物。
全身に出て、引かない蕁麻疹。
身体から出る種々の液体が、とにかく臭い。
これまで身体に溜めてきた、体内で生成してきた「毒」が
吹き出している感じ。
「どうやって自分を生きたら良いんだろう?」
という疑問に加えて、
家族との関係、当時付き合っていた恋人との関係。
なぜこういう時に全てが行き詰まるんだろう?
それが、1年間続いた。
年頃の女の子。
顔が腫れ上がっているから、外に出るのも、友だちに会うもの辛かった。
西洋医学では全く良くならない。
そこで出会ったのが、自然療法や、アロマセラピーだった。
食事療法についても、マクロビオティック、薬膳、漢方など本を読んでは自分で実験した。
あまりに体調の悪い時には、玄米と梅干しとお味噌汁しか食べられないところからのスタートだった。
食事を変え、アロマセラピーを学びながら、「いいマッサージがある」と聞いたら新幹線に乗ってでも受けに行った。
指圧、リフレクソロジー、オステオパシー、アーユルヴェーダ、漢方、代替医療を取り入れた病院、、、
その中で私が出会った途端に、直感的に「これだ!」と思ったのが、トレガー博士の考案した「Trager Approach®︎(トレガーアプローチ)」だった。
こんな優しい心地よいタッチで身体が変わっていくことに驚いた。
受ける人だけでなく、施術する側も、力を抜いてリラックスしていく。
「私も楽にできて、すればするほど、どんどん身体も良くなっていくなんて最高!」
すぐに私は、2週間後にハワイ島で開催される講習会に参加することを決めた。
ハワイ島でのトレガーアプローチの学びは心地よいものだった。
広く青い空の下、芝生に裸足で立って、自分の重心を感じる。
クラスメイトの温かな手に導かれて、私の腕は実は胸の辺りからつながって、ふわ〜っとこんなに気持ちよく伸びるんだ、と感じる。
" How do you feel? "
私は、今、どう感じる?
これまで頭で考えて来た私にとって、この「感じる世界」は、全く新しいひとつの世界を発見したかのように大きなものだった。
「こうあるべき」ではない
「正しい」「間違っている」ではない
ただ、「今、こう感じる」
これが、「私」なんだ。
1年間かけてトレガープローチと解剖学を学び、2000年、私は芦屋で
『Terra(テラ)』
というお店を始めた。
「大地、地球」などという意味、
そして「女性たちの駆け込み『寺』になりたい」という意味の「テラ」。
心身ともに傷ついていた私が、セラピストとしての一歩を踏み出した。
私はひとつの「小さな宇宙」であり、
「大きな宇宙の一部」でもある。
自分自身の体験を通して、そしてお客様とのトレガーアプローチのセッションを通して
私が発見したのは、このことだった。
ハワイ島でトレガーアプローチを学んだこと。
芦屋という、小さな川があり緑のあふれる六甲山の麓で自宅兼お店を始めたこと。
それは、「自然」の癒しを私に体験させてくれるものだった。
2年間の会社勤めで貯めたお金は、マッサージの体験や学び、ハワイ島でのトレガーアプローチの学び、そして初めてのお店の開店準備で、すっかり使い果たしていた私。
しばらくは食費にも、電車賃にも、困るくらい。
でも、時間はある、、、リラックスしたい、し、遊びたい!
ということで、目に止まったのが、最寄の芦屋川駅に溢れるハイキング客。
週末にはゾロゾロと歩いている。行き先は?
ある時、早起きしてついて行ってみた。
なんと、住宅街を抜けて歩いていくと10分で六甲山の登り口があった!
それから私はこの、「早朝山歩き」に、すっかりハマってしまったのだ。
私は大阪の普通の住宅地でどちらかというとインドア派で育ち、実は小学校時代は遠足の登山は大嫌いで、仮病を使って休んだこともあるくらい。
その私が、週に3日も4日も六甲山に通い、その時々で30分から4時間、ひとりで山を歩いた。
ペラペラのスニーカーで、ペットボトルのお水を一本持って。
植物の香り、鳥の声。
人間以外のたくさんの生き物に囲まれることが、こんなに心地よいものだとは知らなかった。
初めて、「自然っていいもんだな」と思った。
山に入って30分くらい歩いていると、いつもは頭の中でぐるぐる考えていることが、ふっと途切れる瞬間が来る。
呼吸が深くなり、まるで自分が「歩く木」になったかのような気分になって、身体の赴くままに走ったり、歌ったりしながら歩いた。
言葉にしようのない、気持ち良さだった。
時には危ない目にも遭った。
新しい道を行ってみようと思って迷ってしまい、2時間近く彷徨った挙句に、電車で一駅離れた岡本駅近くの住宅街に降りてしまったことがあった。道もない茂みから、急に私が出てきて、立ち話をしていたおばさまたちを驚かせ、「ひとりで山に入ったらダメよ!この前も、帰ってこない女の子がいたのよ!」とこっぴどく叱られたり。帰りの電車賃なんて持たずに出て来たから、家まで歩いて帰ったら、1時間近くかかって、もう真っ暗だったなあ。
子持ちのイノシシ母さんに追いかけられたこともあった。
六甲山ではよく野生のイノシシに遭遇する。これまでも細い道で大きなイノシシが向かいからやってきて、お互いドキドキしながら(という感じがした)すれ違ったことや、水辺で遊ぶウリ坊(イノシシの子ども)たちを微笑ましく見ながら、真横を通り過ぎたりしていた。
だからその時も、「ああ、またいるな」と思っただけだったのだが。
どうやら母親の機嫌が悪かったらしく、私を見つけるとすごい勢いでこっちに走って来たのだ。その形相に怖気付いて、私は辺りを見回し、手頃な木を見つけてダッシュで駆け寄り、よじ登った!
その姿はマンガみたいに滑稽だったろう。
足をガクガク震わせている私のお尻の下で、すごい牙を剥き出しながら唸(うな)っているイノシシ母さんの顔は忘れられない。
野生動物は、自分より弱いものには容赦しないということを、身をもって体験した。
芦屋での暮らしで、私は身体も心もすっかり元気を取り戻した。
トレガープローチを学び、施術をしながら、他の様々なマッサージを学んだり、体験したりした。
タイのバンコクにある伝統の寺院ワットポーでタイ式マッサージを学んだり、アーユルヴェーダのパンチャカルマ(本格的な体内浄化プログラム)を受けるために、スリランカに10日間滞在したりもした。
人の手と、自然。
人を癒すのはそのふたつなんだ、と私の身体を使って実体験することになった。
芦屋で始めたサロン、『Terra』もありがたいことにお客様に恵まれて、忙しくなってきた。
「郊外の隠れ家サロン」として、雑誌に載せていただくことも度々あった。
そんな頃、予想もしないことが起きた。
想定外の忙しさになってきた時、ひとりで全てをしなければならない、と思って苦しくなって、一時はご予約の電話が鳴るだけでビクッとするくらいになってしまったのだ。
『たくさんの人に、私と同じような、心から、身体からのリラックスと安心感を感じてもらいたい』
そう思っているのに、身体が動かない。心が、向かわない。
私はハワイ島でのあの心地よさをもう一度思い出そうと、沖縄に旅行することにした。
沖縄には、あの広い青い空があった。
旅の途中で出会う、優しい人たちがいた。
私はすっかり沖縄に魅了されて、月に1度通うほどになった。
タイの浜辺でマッサージを受けた体験があった私は、沖縄ならそんなお店ができるのではないかと思い、何度も通って場所を見つけた先は、『西表島(いりおもてじま)』。
ハワイ島を思い出させるような、島でありながら大地のエネルギーの強い島。
「ここなら、私は人生の1ステージを作っていけるかもしれない」
と直感し、移り住むことを決めた。
島の90%は亜熱帯ジャングルである、西表島。
400平方キロメートルとかなり広い。
人間はたったの2000人。
島を覆う緑の植物たちは、生き生きしているを通り越して、まるで動物かのような生々しさ。
気を許すと、あっという間に人間の作ったものを蔦や茂みの中に飲み込んでいく。
私は彼らを『肉食植物』と呼んでいた。
シーズンには毎週のように襲ってくる巨大な台風。
その度に当たり前のように数日停電しゴウゴウと暴風の音が響く中、できることと言ったら昼間、薄明るい窓辺でやっと本が読めるくらい。飽きたら、鏡に向かってひとり、変顔をして笑ったり(だいぶ怪しい 笑)。
暗くなったら、ろうそくを灯して自分に全身マッサージをたっぷりしてあげて、ただただ寝た。
(こう書くと、台風ってかなりリラックスする素敵な時間でもあったんだと気づいた!)
美しいリゾート地でもあるが、悲しい事故の知らせもある。
滝に落ちる、カヌーが転覆する、夜に海に落ちてサメに食べられる、、、
人間の力って、こんなにちっぽけなんだ、と感じさせられた。
だからこそ、助け合っている、助け合わざるを得ない、ということも体験した。
もちろん、島の美しさは驚くばかりだ。
自然と共に生きることは、生命のリズムに合うこと。
それは言葉を超えて、心地よい。
私が西表島への移住を決めたひとつに、砂浜で日長一日、波に揺られて行ったり来たりするヤドカリを見たことがあった。
東京で通勤列車に詰め込まれる人間たちを思い出し
『あなたは、どちらを選ぶ?』
と自分に問うたのだ。
その西表島を2023年4月に、久しぶりに訪れた。
自然の中にどっぷり浸かり、『人間』としての自分を一旦リセットする。
そこから見えてくる、あなたの深い部分からの『ヴィジョン』
『あなたは、どう生きる?』
を見つける特別なリトリート。
プログラムをこなすリトリートではなく、その場に流れるモノを受け取り、ご縁ある仲間たちと楽しみと喜びの中で紡いでいく時間となった。
浜辺でのボディワークを15年ぶりにできたのも、本当に嬉しいことだった。
トレガープローチ、「感覚」を通して自分自身とつながること、大自然とつながることで絶対的な安心感を持つこと。
その体験を持ってしても、私がまたしても高い「壁」を感じたのが、「子育て」だった。
23歳くらいから自然療法に親しみ、ほとんど病院には行っていなかったことから、出産も自然な形でしたいと思っていた。図らずもヨーロッパ旅行中に妊娠し、つわりがひどかったので帰国できず、病院に行かずに自分で身体と向き合って妊娠中を過ごすことになった。出産当日までつわりがあり苦労したが、なんとか乗り越えることができた。
帰国し出産は、兼ねてから望んでいた自宅での出産。
私たち夫婦と助産師さん、そして赤ちゃんと4人で乗り越えたお産体験だった。
そこまでは、ある意味、私の思うようにできたのかもしれない。
けれどもその後に続く子育て、これはまさに「私だけではどうしようもない」という体験だった。
妊娠中のいったいいつから、私はちゃんと寝ていないんだろう?と思うような数年にわたる睡眠不足。
一日に何時間赤ちゃんのお尻を見ているんだろう?というようなオムツかえの日々。
ゆっくり食べることもできない、トイレに行くのもままならず、お風呂さえ入れない日もある。お腹が空いている時に授乳などした時には、がっくりと気力体力がなくなり、復活するのに数時間かかる。
1番辛かったのは、私も1番疲れ果てた夜になって帰ってくる夫の晩御飯を作ることだった。私もやっとバトンタッチできる、と思って今か今かと夫の帰りを待っていたのだから、ご飯を食べてうとうとしている夫に向かって、優しい言葉をかける気にもならず、
「全く使い物にならない!」という言葉を投げつけたことも覚えている。
夫とて、何も心の準備を整え終えてから父親になったわけでもなく、自分を向いてくれていた妻が急に100%赤ちゃんに愛情とエネルギーを注ぐことになるのだから、理解できない。寂しさと鬱憤が溜まる。
「もう俺を愛していないのか!」
と言い残して、家を出たこともあった。
(漫画だけじゃなく、本当にこれってあるのね、、、と今では笑い話だが)
一番の仲間であるはずの夫との関係も、大きな壁となってしまった。
「私」と向き合うだけではダメなんだ。
続く
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